2011/12/02

これからも味わうことになるだろうし、
実際にはまだ何も味わっていないのかもしれないんだけれど
茨の道ということが如何に茨の道なのか、言葉にするのは簡単というのは
喉につっかかるように、今、感じるね。
じっさいもんだい、何も言えなくなっていくし、何も言わなくていいし
誰もをそれを求めてはいかない。これからも。仕方が無い。

そのなかで、何故、どうして。何の為に。

それをずっと味わいながら、冷たい路上を這いつくばるようにというと、大袈裟か。
でもまあ、棒だけで火を起こす、みたいだよね。変わらないよね。
世間と自分。隔離する、出来るわけないだろう。
全く世間に通用しないんじゃないかって、そう思う時の方が多いし、ほとんど。
通用っていうのは、人としてスキャンされていく、か。ってこと。
お花屋さんになりたいって言ってる子供をあやしているときの
小学校の先生のような顔をされるだけかな。

どうしようもない人をどうしようもないままに。

それでは。

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